映画『五月の雨』、“見えない鎖”のように親子を追いつめてゆく手段を断ち切る方法はあるのか?

 ドラマ部分とドキュメンタリー的部分が配合された一作。テーマはDV、そして離婚後の共同親権だろうか。DVといっても、この映画には強烈な暴力シーンや絶叫シーンはない。あるのは視線の暴力、言葉の暴力、態度の暴力。物理的に力を加えなくとも、その人のマインドのありようで、相手の心などいかようにも傷つけることができるのだ。

 ドラマ部分に出てくる夫婦には一人息子がいる。互いに好きだったからこそ交際もしたし結婚もしたしセックスもしたし核家族を構成することもできた。が、夫の「支配」は「愛」のキャパシティを超え、妻は「恐怖」を感じ、呼吸することすらしんどくなってゆく。こういうときに「かすがい」になるのが子供なのでは、という考えはあまりにも楽観的に過ぎる。覆水は盆に返らない。

 「離婚後の共同親権制度導入」を夫が受け入れたことでようやく離婚が成立し、(元)妻は息子と二人暮らしを始める。成長するにつれて当然、出てくるのが進学の問題だ。が、ここに前述制度の「壁」が立ちはだかる。元夫は息子の父であるのだから、彼にも息子の将来を考える権利がある。が、そのためには、元夫婦には再び接触する必要が生じる。かつての夫の行為に生命の恐怖を感じ、命からがら離婚したというのに、その、かつての夫にまた会わなければならないとは。怨みの高まった彼に殺されないとも限らないではないか……。

 監督・冨田玲央、出演・安川まり、巴山祐樹ほか。

映画『五月の雨』

4月11日よりから東京 新宿K’s cinemaにてロードショー、全国順次公開予定

監督:冨田玲央
配給:ちょっと待って共同親権ネットワーク「五月の雨」製作委員会
(C)ちょっと待って共同親権ネットワーク「五月の雨」製作委員会

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