どうしてこんなことが? 「良心」とは何なのか? イタリアを揺るがした歴史的事件を映画化。『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』

 重厚な作品だ。観終わったあと、深く内省することになると思うので、これを観た日はその後の予定をあまり入れないほうがいいかもしれない。イタリア語タイトルは『Rapito』、TIFFでは『KIDNAPPED』というタイトルで上映された。両方とも、「誘拐」を意味する。

 スピルバーグ監督が映画化を断念した、とも伝えられる実話「エドガルド・モルターラ事件」を基にした一作。ユダヤ教の大家族に育ったエドガルドは1858年、7歳の時に突如、家族のもとから連れ去られ、カトリックの教会で育てられることになる。指示したのは、イタリアのボローニャにいる教皇。連れ出したのは兵士だ(異端審問所警察という説も)。その理由は、家族の中でただひとり、カトリックの洗礼を受けていたから。いくら親兄弟であっても彼らが非カトリック教であれば、カトリック教徒を育てることはご法度。カトリック教徒だけが、この子を養育することができる。そう法律に定められていた。

 日本が不平等条約「日米修好通商条約」を結んだのと同じ頃、ボローニャではこんな出来事があったのだ。

 「すごい決まりだな」と驚きつつも、「なぜ彼だけが? 幼い少年なのに? 彼自身の意志なのか? それとも第三者が洗礼を受けさせたのか?」という疑問をかきたてつつ、ほかにもいくつもの伏線が集まりに集まって、中盤以降の奔流のような展開につながっていく。拉致された息子を取り戻そうとカトリックの教会に出向いたり、裁判を起こしたりと、家族側も彼らにできることを必死にやる。だが「壁」はあまりにも厚く、高かった。「朱に交われば赤くなる」とか「ストックホルム症候群」という言い回しがイタリアにあるのかどうかは知らないが、人間の習性は変わらない。

 「犠牲者」という言葉をあえて使わせてもらうなら、この物語の中では、家族も兄弟もユダヤ教信者もそうだ。だが、一番の犠牲者はエドガルド本人にほかならない。監督・脚本は名匠マルコ・ベロッキオ。

映画『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』

4月26日(金)よりYEBISU GARDEN CINEMA、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町他にてロードショー

監督:マルコ・ベロッキオ 脚本:マルコ・ベロッキオ、スザンナ・ニッキャレッリ 製作:ベッペ・カスケット、パオロ・デル・ブロッコ
出演:パオロ・ピエロボン、ファウスト・ルッソ・アレジ、バルバラ・ロンキ、エネア・サラ、レオナルド・マルテーゼ
2023/イタリア、フランス、ドイツ/カラー/イタリア語/134分
配給:ファインフィルムズ 原題:Rapito 映倫:G
(C) IBC MOVIE / KAVAC FILM / AD VITAM PRODUCTION / MATCH FACTORY PRODUCTIONS (2023)

公式サイト
https://mortara-movie.com/