歴史にタラレバはないとしても、「あの日にあの出来事が起きていなければ、世の中にはもっと笑顔があふれていたはずだ」と痛感させる物事は多い。2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロも、そのひとつだろう。
が、この映画で主人公となっているのはどうにも事件と関係のなさそうな、ドイツのブレーメンに住むトルコ移民・クルナス一家。穏やかに平穏に暮らしていたはずなのだが、長男が旅先のパキスタンで“タリバン”の嫌疑をかけられたことで日常が一転する。息子はいつまでも帰国しない。なんと、キューバのグアンタナモ湾にある米軍基地の収容所に収監されてしまったというではないか。息子はもちろん“タリバン”ではなく、収監の背後にはルッキズムや人種偏見があることも考えられる。が、とにかく嫌疑をかけられたのだから、それを晴らさなければ、社会には戻してもらえないであろう。勝手に捕まえておいてなんという不条理かと思うが、庶民にとっての世の中はそういう危機と背中合わせだ。
悲しみに暮れるよりも、まず行動。そう割り切ったのか、とにかくこの母・ラビエは強い。警察も行政も動いてくれないので、どうにか人権派弁護士ベルンハルトと知り合うのだが、それからの日々が実にテンポよくエモーショナルに描かれる。映画タイトルの「vs」の後にアメリカ大統領の名が書かれているのは、その人物を相手に訴訟を起こすことにしたからだ。母は学び、息子は耐え、そして観る者は哀しみ、怒り、喜びなどさまざまな感情を、この映画から呼び起こされることになる。
監督はアンドレアス・ドレーゼン。映画は、無実の罪で5年もの間グアンタナモに収監されていたムラート・クルナス本人の著作を基にしたコメディの形をとっている。せめてコメディ仕立てにしなければつらすぎる、という側面もあったのだろう。おもしろさと表裏一体なのは、いつだって哀しさだ。ベルリン映画祭 銀熊賞(主演俳優賞/脚本賞)2冠受賞作品。
映画『ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュ』
5月3日(金)より新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー
監督:アンドレアス・ドレーゼン
脚本:ライラ・シュティーラー
撮影監督:アンドレアス・フーファー
出演:メルテム・カプタン、アレクサンダー・シェアー
2022年 / ドイツ、フランス / ドイツ語、トルコ語、英語 / 119分 / カラー / 2.39:1 / 5.1ch / 映倫~
原題:Rabiye Kurnaz gegen George W. Bush
英題:Rabiye Kurnaz vs. George W. Bush
字幕翻訳:吉川美奈子
配給:ザジフィルムズ
後援:ゲーテ・インスティトゥート東京
(c) 2022 Pandora Film Produktion GmbH, Iskremas Filmproduktion GmbH, Cinema Defacto, Norddeutscher Rundfunk, Arte France Cinema