1980年代の空気を吸ったブラック・ミュージック好きの体内から、ジョン・ベルーシの名前や存在は消そうとして消せるものではない。ぼくは映画『ブルース・ブラザース』を見て大感激し、真剣に「この映画の中の登場人物になりたい。レイ・チャールズが父親、アレサ・フランクリンが母親、キャブ・キャロウェイが祖父ならどんなにいいか」と思い、気持ちが高じてシカゴのマックスウェル・ストリートに行って「ここで、ジョン・リー・フッカーが演奏するあのシーンが撮られたのか」と涙ぐんだ。

ニューヨークで収録されていたTVバラエティ・ショウ『サタデイ・ナイト・ライヴ』(70年代後半、ベルーシの名を一躍広めた。『BELUSHI ベルーシ』にはサムライのシーン等を再録)を見ることはかなわなかったが、トム・マローンやルー・マリーニなどそこに登場するミュージシャンを集めた“サタデイ・ナイト・ライヴ・バンド”のレコードはよく聴いた。
でも考えてみれば、自分はベルーシのことなどからっきし知っていなかったのだ。それがこの『BELUSHI ベルーシ』を観てよくわかった。わずか33年の短い生涯、すさまじいドラッグ中毒だった、太めの体でバク転してしまう身の軽さ—-それは彼の、晩年のファクターの、ほんの少しではない。この映画には、自分の知らなかったベルーシがいっぱいいる。

アルバニア移民の子として生まれた、シャイな少年。父親とはあまりうまくいかず、悩む姿。筆まめであったこと。物真似や笑いへの献身的な姿。劇団員時代のポートレイト。恋人ジュディス(のちに妻となる)への一途な思い。テープに収録されていた、あまりにも貴重な、なんの飾り気もない肉声。コメディアンとして、役柄として、しゃべっているときとは明らかに異なるベルーシの口調だ。ベタな言葉で言えば、「人間ベルーシ」が、この映画には刻まれている。
番組でお気に入りのナンバーを歌う時のバックに、コーネル・デュプリーやスティーヴ・ガッドなど“スタッフ”の姿も見えるのも嬉しい。

だがこの映画を自分は、「ベルーシって誰?」という世代にこそ観てほしい。こんな奴がいて、こんなふうに人生を燃焼していたのだということを知ってもらえたらと思う。周りの人々がどんどん困惑しつつ(思いを残しながらも)離れていく末期の行状は、ジャコ・パストリアスのそれともかぶるが、残念ながらもう、こうなってしまうと、なるようにしかならない、第三者の手に負えるものではないのだな、ということも痛感させられた。監督・脚本はR.J.カトラー。
映画『BELUSHI ベルーシ』
12月17日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開
監督・脚本:R・J・カトラー アニメーション:ロバート・バレー
声の出演:ジョン・ベルーシ、ダン・エイクロイド、チェビー・チェイス、アイヴァン・ライトマン、ジェームズ・ベルーシ、ローン・マイケルズ、ペニー・マーシャル、ジョン・ランディス、ハロルド・ライミス、キャリー・フィッシャー、ジュディス・ベルーシ
2020年/アメリカ/ドキュメンタリー/108分/ビスタ/5.1ch/原題:BELUSHI/日本語字幕:大塚美左恵
配給・宣伝:アンプラグド
Belushi (C) Passion Pictures (Films) Limited 2020. All Rights Reserved.